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-CONCEPT- OLD記事

前衛の道

 

第22回

 

アクション問答

 

 

 

Q: 画家であるといっている以上何をするから画家だという条件がつきまとうでしょう

 それを僕は外に求めるわけよ。 社会にね。 まず僕が座っているわけでしょ。 そして 「俺は画家だ」 というんですよ。 すると 「ああそうですか。 あなたは画家ですか じゃあどういう絵をお描きになるのですか?」 といった時に、僕は 「絵に火をつける」 といえば、画家が絵に火をつけた・・・・・・ということで画家の革命になるわけよ。 そういうふうに芸術というものを利用しているのです。



Q: 篠原君は渦中の人で絶えず前進しているのだろうけれどアクションでどういうことをやったのか、
   歴史的な経過を聞かせてください。

 アクションということはいいかえると自分をオブジェ化することで、人の見ていないところでいくらバットを振ったって価値がない。
 他人を意識して始めて興奮を緊張が出るので肉体的なものから来ています。 目立ち好みという体質的なものですね。
 つきつめたらアクションというのは超人間的なものでしょう。 それで僕は最初にボクシング・ペイティングをやったのです。

 

 


Q: ショックを与えなければいけないわけ?


 ええ、でも本当のショックじゃないですよ。 本当のショックは現実の方がはるかにドラマチックです。 ケネディの暗殺にしろ・・・・・。
 僕のはもっと観念的なものです。 ネオ・ダダの作品というのは今では大分定着して来てしまったけど以前のは誰が見たってあれはゴミだもの。 そうでしょう。
 綿を敷いて小便をひっかけて  ″帝国ホテル ″ っていうんだから。 見方をかえればそこに面白さがあるわけです。
 だから芸術運動というのを僕はそういう意味でとっているわけで、そうでながったら昔レッキとしたダダイズムなんていう本当の運動があったのだから、ネオ・ダダなんて名づけません。


Q: マスコミとかジャーナリズムというのは作品のために不可欠ですか?

 そうですね。 僕がアクション画家という看板を掲げると逆に僕をどんどん引張っていくわけで、僕がとうてい考えられなかったアクションの方法とか場を、むこうが提供してくれて、僕は自分の力以上のことがやれて面白いわけです。
 アクションの作品の内容というのは誰がやっても同じで、ただ方法の違いだけですね。


 


Q: そこで篠原君のイミテーションを聞かせてください


 創造といったって真似るのじゃないでも作る喜びですよ。


 だから何時でも僕はいうのだけれど現在の地球はこれ以上進歩もしなければ後退もしない。 発展もしなければ新しいものは生まれない。 というのは人間そのものが改革されないということです。 だから例えばクロレラが発明され普及し、一粒で五十日生きられるとなれば食べる楽しみがなくなってそうなれば産業革命以上ですね。 そこで始めて人間の作る作品だって変わり、オリジナルなものが発見できると思う。
 それから羞恥心がなくなったとしたら皆が裸で歩いたって構わないから、その次元になってかくすモードでない本当のモードが始めて出来るわけ・・・・。


 イミテーションというのはここまで来たらいよいよ究極的な観念だと思うのです。 僕らは絵を作る立場で考えたら、オリジナルな作品を作リ出す程苦しいことはない。 時代はどんどん変わるし、僕らだって歳はとるしジェネレーションの相違はありますしね。
 何で定着するかということは大問題です。 日本というのは芸術面では二等国でそれを一等国にするためにグランプリ作家を送り出さなくてはならない。


 それには東京からオリジナルなスタイルを出さなくては駄目だ。 日本が世界に誇れるもの、といったら、パチンコとか赤坂とか、人間がギッシリつまっているとか、そういう全部をひっくるめたゴチャゴチャのエネルギーが 「東京」 にはいっぱいあるでしょう。
 それを国際的に押し出して行かなくてはならない・・・ だからそうなると自分の芸術はどういうものであるかなんです。
 オリジナルなスタイルをどういうふうにみつけるかというと、僕はもうみつけられないわけ。 さんざん探したけどないから・・・・・。
 僕は踏んづけたり、蹴ったりしているだけで少しもまとまらない。 それかといって芸術から抜けられないし、僕の過去の教養が・・・・、 いや本当にいろいろ理解できる教養があるし、それじゃ仕様がないから他人の真似をしよう、他人の絵というのはすばらしい、ゴッホでもピカソでもリキテンシュタインでも・・・・。 

 それでイミテーションというところに、ある日やっと辿り着いたのです。


 


Q: 複製とか偽作をを作るわけですか?

 偽作にはコンプレックスがあるけどイミテーションにはありません。 ローシェンバーグが日本に来たら僕は彼に作品を見せるな、

 「どうだ、僕の方がうまいだろう」 って・・・・・。

 ティンゲリーのメタ・マティックをもっと大きく作ってデパートのショーウインドウに入れられてどんどん絵を描かせて皆に見せたら、教育的な価値もあってどれ程社会福祉に役立つか知れない。 画商とか金満家のコレクターが小さくして自分の所にしまい込んでるなんて矛盾の限りです。


Q:それはパロディ、つまりもじりの意識はないのかな

 もじらないわけ。 ゴッホの顔を大きく引き伸ばして描いて、それで口のところに印刷なんかで入れるのです。


 「死ぬのはお前だ!」って・・・・・。


Q: デュシャンがモナ・リザに髭を描いたが、あれとは違うの?


 あんな芸術的な観念的仕事でなくてもっと肉感的なのです。 ゴッホの向日葵は彼が貧乏だったから二十号の小さいカンヴァスにきり描けなかった。 それで今では一億円もしている。 あれの三百号の向日葵が咲いたらどんなにすばらしいか、誰だって想像するでしょう。

 

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