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-CONCEPT- OLD記事

 

 

アレックス・空海・篠原(篠原有司男の息子)制作の作品

 

ロックバンド ババマニアのアルバムカバーに使用

 

 

 

 

 

 

ジャブ ジャブ ストレート   レフト フック KOだ! 〔レフトフック展〕
 

 今年のニューヨーク美術界の幕開きが、ポップ・アートだとすれば、東京はレフト・フックだ。 レフト・フック展こそ、若者の願望を一手に担って出発した一つの色彩革命である。

 

 新しさ 「NEW」 この言葉ほど、僕等の芸術を振動させ、次の目的に向かって勇気をふるい起こさせた言葉はなかった。 しかしこれ程馬鹿馬鹿しい言葉もない。 人間の欲望、性欲、食欲、金欲、二十世紀的健康体の持ち主なら誰でも持っているもの、もしもサン・ロ-ランのデザインに隠す目的 (無論 「SEX」 をだが) が無ければ、人間から羞恥心が取り払われれば、すなわち、人間古来からの五大本能の一つが、科学のメスで切り崩されたなら、本当の意味での新らしいデザインが生まれるはずである。


 絵のスタイルはどんどん変る。 しかし、新らしくなるのではない。 絵画とは「devilish」なもので、一度取付かれると、人間誰れでも、本能が命ずるがままに、人間的であればある程、つまり獣欲があればある程、深みにはまり、葛藤が激しくなり、アート的になるはずだ。 アートとは、ルネッサンスの爆発はあっても、これは欲求不満の現われと同じで、進歩とか、前進などではなく、細胞分裂の事だろう。


 クロレラの培養が成功し、食糧に革命が起れば、一粒の錠剤で五十日生きられれば、人間は進歩し、したがって絵画も本当の意味で新らしくなり、前進するだろう。・・・・ 
 全人類は、全地球は、アア、歴史よ、英雄よ、神よ、悪魔よ、遂に巨大な袋小路にさし掛かり、これ以上絶対に変りようのない、この地上に於いて新しさはない。 すなわち、アートは 

〃最初から存在しなかったのだ、アルタミラの洞窟以来〃

〃壁に刻んだものをアートだとして以来〃

〃人間がリンゴを 「Apple」 と名付けて以来〃

ア一トは全くなかったのである。

 

〃へんなアート〃

はあった。 りんごや航空機と同様、そして僕は僕の作ったへんなものを、イミテーション・アートと名付けてみた。 人間がりんごを 「Apple」 とし、核兵力を「Nuclear force」 としたのと同様に・・・・・


 サア出発だ! イミテーション・アートよ、色彩革命よ、レフト・フックよ! 大胆にも創造行為を否定した僕の命名するイミテーション・アートは、あらゆる造形を拒否します。 激突したジェット機が完璧な造形美を発散させる。 今日ギャラリー内の不景気な造形作品に、太陽の輝きや、人間性の勝利、悪魔の誘惑と戦慄を感じ取ったと思う程、現代っ子は、童貞ではありません。 意味ありげに拡大されたハンバーグや、人間の鼻、アンチ・ハリウッド的スターの顔文明批評なら社会評論家の専門です。 漫画にコンプレックスを感じる世代は、限られた正統派画家だけです。
 レフト・フックの小島信明のボクサーは、彼がリングの恐怖から作り出したものではありません。 ファイテング・原田の大ファンである彼は、自ずからボクサーを志ざして、サンドバッグを叩きます。 彼の人体作品は、彼自身のサイズに合せてあり、螢光塗料で着色してあります。 頭部をすっぽり包む布は、当然陰部を暗示します。 彼の全作品は、頭部を隠し、鑑賞者ははぎ取って、誰の顔だかを確認したい衝動にかられます。 シゲか、王か、カネか、原田か、しかし頭部を隠す布は、プラスチックで塗り固められ、鑑賞者を失望させます。 この形而上学的幻惑を与え、大成功しているのです。


 ピンクの大画面に鼻を突込んだ悲しそうな犬を、表わした坪内一忠の作品は、「homo Sexual-love」

を、完璧に表現しています。

 

坪内一忠 レフトフック展出品


 カンバスに、無意味に引かれた線や形、どこの誰とも知れない顔、人物、キザで暗示的セリフばかりしか喋れ無い俳優の様な、西欧輸入アートから足を洗おう。
 天使を拒否したばっかりに、コーラ、カンズメ、セックスアッピール等の、日常品に追い詰められ、アド・イメージに食い殺されそうな、ニューヨーク・アートの電源を切ろう。
 僕が日本人である偶然が、西欧輸入ア-トの亡霊と戦い乍ら進んだ先輩達と違って、 〃イミテーション〃 と云う卑怯な方法で手を結んでしまった事は、重大です。 すなわち、日本のトレディショナル・アートから手を切る方が、輸入アート論争より先決問題でしょう。


 一九六五年の東京で、なりを潜めていたトーキョー・ア-トが爆発する事は確かです。
 東京ア-トは、顔をチェンで引き裂かれて、うち倒れた若者の真紅のジャンパーに象徴されるでしょう。 目の前にある動かす事の出来ないこの事実、見る事が出来、感じられ、触れる事の出来、 しかも数秒後に迫った死の恐怖は、完全に若者の物です。 その上この無抵抗なこの男に、気が狂った様なバットの洗礼を浴びせる。 数人の男等、一人対十人のこの遊戯、ジャンパーの背には、タイガーと大きく記されている情景、正に音楽的と云っていいでLょう。 ポップアート的パロデーの、微塵も無い東京アート、アッと云う間に真紅のGTカーが、此等人物に突込み衝激音と、むき出した骨のすれ合う響き、流血の小さな滝、赤い呻き、聴覚的絵画よ、GTカーに乗った覆面の武士、ミフネと、ジャンパーとの対象で歴史的時間感覚を超越した四次元世界を望む、開放感があるはずです。 東京アートを、ティンエイジーリズムで説明しましたが、アテンション・ヴァリューが、強力である事が、東京アートの第一条件です。 すなわち、ビートルズであり、ドン・ショランダーであり、高速度廻転するマルセル・デュシャンの首がそうである。


 人間の本能を規制する科学に幸あれ! 天才建築家ガウディーの教会などに、プリミティヴ・アートのノスタルジーを感じて、瞳を潤ませたがる者よ去れ、地球はもうこれ以上進歩しないと言う絶対事実に対し、人間は、五感の一部を身ずからの手で剥ぎ取ったロボットになるう。 新造形、新思想、新精神を目ざして、エネルギーを浪費する者達よ、オリジナル・サウンドという虹の夢に、期待しながら、手探りする馬鹿者達よ去れ。 彼等のアル中の手で、アートのスタイルは、去っては又生まれる。 細胞分裂の様に、ルネッサンス的エネルギーの爆発には、現代人の夢はない。 科学の進歩待ちで足止めをくっている現代生活の中から生まれた、イミテーション・アートには、神以上の救いがあるはずです。    (原文のまま)

 

 

田中信太郎レフトフック展出品作品

 

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