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-CONCEPT- OLD記事

 


    ネオダダイズム・オルガナイザー結成


 「一九六〇年の生殖をいかに夢想しようとも一発のアトムが気軽に解決してくれるように、ピカソの闘牛もすでにひき殺された野良猫の血しぶきほどに、我々の心を動かせない。  真摯な芸術作品をふみつぶして行く  二〇、六世紀の真赤にのぼせあがった地球に登場して我々が虐殺をまぬがれる唯一の手段は殺戮者にまわることだ」  (ネオダダイズム・オルガナイザー第一回展マニフェストより)

 三月の馬鹿陽気、生暖かい春風が、ジンチョウゲの香りをセクシーに運ぶ。  第十二回アンパンの初日の帰り、かねて手筈のとおり、吉村益信側は、武蔵野美大の後輩、赤瀬川原平、荒川修作、風倉省作、上野紀三。  ぼくは画廊で知り合った石橋清治(別人と改名)、岩崎邦彦、三木富雄の友人で中央美術学園の豊島壮六をつれ、新宿百人町にある、日展の大家もびっくりするような吉村のすばらしいアトリエ  (壁が白いため通称芸術のホワイトハウス) に落合った。  ときはすでに暮色、アンパン会場で各自の作品を確かめ合い、また批評家の滝口修造氏を囲んで、グループ形成を宣言、全員興奮気味であった。

 

 


 「酒だ!」

「いや酒の前に宣言文の制作だ。」

 くばった紙にめいめい考えた語彙を片っぱしから書きつけ、集めて読みあげ、採用を決定して行く。


 ″小便専用の管、真空に膨潤した地球、三次元は三次元だから三次元、ハメハメ、時間のつかみ取り、ハヒエ・ホレ、タイピストと同次元におけるメニューの法則、「飢餓術師」、檻の中に人間が入り猿を外に出す、十字架を背負って会場入口に逆立する、椅子のクッションに異物を入れ刺激を与える、快楽椅子、骨董屋をミキサーにかけてスープにしてすすめる、ダリのヒゲはズボンに隠す、ネオダダイストは檻に入れろ、危殆の穴ぼこ、あなたのハートを射とめる、ダダ、ダダ、ダダ、ダダ、ダダはお前の芸術だ″


 アンパンの余勢をかって、一カ月とたたない四月四日、銀座画廊に開花した毒茸、グループ  「ネオダダイズム・オルガナイザー」  第一回展は、各自アンパンに金をつかいはたしたのが、かえって幸いし、反芸術にふさわしく、まともに作品の形をしたのは一点もなかった。


 「ギヤオー」


 狂人じみた石橋の悲鳴が会場に響く。  とたんに、金だらい、やかん、ストーヴが変形するまでメチャクチャにたたかれる。  会場に流す音楽をテープに録音中なのだ。  徹夜で飾りつけの朝、早くもさし入れのウイスキーをあおった連中が控室に集まり、ありとあらゆる音を、片っぱしから吹き込んで行く。  水を張ったバケツに顔を突込んでボコボコやっていた風倉が急に、


 「戦争だ戦争だ、第三次世界大戦だ!」


 とわめきだした。それにつれて打楽器がいっせいにはげしく鳴る。  その中で赤瀬川が冷静にマニフェストの一部を読みあげる。


 ビールびんが割られ、椅子がけ倒される。  吉村が唐手で、もぎ取られた椅子の足を一発でたたき折る。


  「バキー」  

                        
  小さん以来のつきあいである東京放送教養部の志賀史郎さんが、「現代の若者」という番組のため横からこれを録音している。

 「くせえ、おかしいぞ。」

「しまったもう腐りやがる。」


 上田純が昨夜仕込んだ、とうふの上にもやしをのせプラスチックの箱に入れた作品がたまらない臭気を発しはじめた。  ビニールに水を入れた荒川、三十個の割ったコップが壁から突出している赤瀬川の作品、三百個のゴム風船で構成した  「ごきげんな四次元」  と題するぼく、朝の甲州街道で八分間、ケント紙を車にひかせたタイヤの跡だけの石橋。  ちょうどそこへ日本衛生学校出身の三木富雄がバリカンを持って現われ、騒いでいる石橋のボサボサの汚い頭をきれいに坊主にしてしまった。


 当時三木は、前衛芸術は頭からだ、と会う人ごとに頭の髪を切り落してしまい、ほとんどのメンバーが長髪から、スカッとした GIカット にされてしまっていた。  この三木と工藤哲巳はグループの周辺にいながら、どうしたことか、ネオダダのメンバーにぜったいに加わろうとしなかった。  飾りつけの夜、わざわざ手伝いに来た工藤を強引に誘い込もうとした吉村と、あわやなぐり合いになりそうになったことがあった。  東松照明のカメラにポーズを取っているところに、瀬木慎一氏が批評家 ミシェル・タピエ をともなって来た。  ショックを受けたタピエは、このことをパリに帰って話すと言って引き揚げた。

 大阪の ″具体″に非常にカを入れ、画商でもある彼の眼に会場芸術を破壊している、スキャンダラスなぼくらの作品がどう映ったことか。

 

 


       土曜日ごとのワイルドパーティー


第一回展のすさまじさを伝え聞いたらしく、銀座の画廊から完全に締め出しを食ったわれわれはやむなく、本拠である吉村益信宅ホワイトハウスを開放することに決めた。  新メンバーに田中信太郎、吉野辰海、田辺三太郎、岸本清子が加わった。  ネオダダがもっともその特徴を表わしたものに、毎週土曜日に開かれたパーティーがある。  初めは、マニフェスト制作に集まっていたのが、吉村以下酒豪揃いのメンバーなのでたちまち酒宴に変わる。  回を重ねるたびにウイスキーの空ビンが玄関わきに積まれ、しまいには戸が閉まらなくなってしまった。  第十三回アンパンには吉村は山のような空ビンを家具にベタベタはりつけた作品をつくり出品した。


  エネルギーをぶっつけ合い、カン声とビートミュージックの中で汗まみれの半裸で踊りまくるメンバー、ネオダダ・シンパの女性群。  これぞゆがんだ現代社会が生んだ若者の代表だとばかりに撮りまくる週刊誌ジャーナリズムのカメラマンたち。  マスコミずれしたわれわれは、カメラの前でショッキングなラブシーンを次々と展開してみせた。

 


  このとし、一九六○年、昭和三十五年には、たしかになにか地球上に異常な変化があったのだろう。  芸術面からみても、ヌーヴェル・ヴァーグ、アメリカン・ダダの誕生、現代日本美術の分岐点となった反芸術論争。  そして安保闘争の年であったのだ。

 

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