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-CONCEPT- OLD記事

 

篠原有司男の底力 5

美術手帳 1995年10月号 掲載


アーティストの条件

 


 
  
今後どんなふうに制作が展開していくんでしょうか。 

 

篠原 …… ひとつのエポック・メーキングのやつは、北九州の 「兎と蛙の乗ったケンタウルス・オートバイ彫刻」 になるね。 あれは結果はぜんぜん予想できなかったんだけど、工場の工員さんとアーティストが最初はちぐはぐだったのが、一体になってできたということ、現場にぼくが参加して手づくりでつくったということが、すごく大事だと思っている。 いわゆるモニュメントというのは、図面を渡して、あいだには仲介者がいて金銭的なものが解決して、工場生産をして場所に置いて、めでたし、めでたし、なんだけど、ぼくの場合は金銭的なものは九州のヴォランティアが全部やってくれて、材料には、百万人の市民が集めた空き缶を溶かしてつくった鉄も使っている。 工員さん、技術者の前で、ヴェニヤ板を二十五枚張った大画面にキャンヴァスを張って、ほうきの柄に大きな筆を付けて、それに実際に原寸大のデッサンを描いたわけ。

 

 最初からみんなをびっくり仰天させたんだけど、そこからはじめて、ぼくのとっぴな発想と、ミリで勝負する、正確な職人さんとの協調が最後に実ったというかたちになっている。 だから、彫刻の顔の中にはあれに携わった人たちのサインがたくさん入っている。 鉄で埋め込んであるわけ。 東大寺の大仏の横にある運慶・快慶の守護神と同じ。 中にお経は入ってないけど。 それぐらいにみんなが誇りをもってつくったやつで、そこらのモニュメンとはちょっと違う。

     

 

 こういうものは最初から芸術家気取りで、かたいことをいっていたんじゃ、ぜったいにできない。 ぼくは地面から這い上がっていくスタイルの作家だから、工員さんとか鉄の技術者たちの気持ちが手に取るようにわかるわけ。 彼らとどういう点で妥協して、どういう点で突っ込んでいくかがわかっているから、すごくおもしろかった。 彼らは無口で、ぜったいに説明しないからね。 喜びも悲しみも顔にぜったいにあらわさない連中だから、それは難しいよ。 仕事で勝負という連中と、アイディアで勝負というアーティストがぶつかったんだから。 でも、そこがおもしろかった。

 

北九州の巨大鉄鋼彫刻
 巨大怪獣モニュメント 「蛙と兔の乗ったクツタウルス鉄綱彫刻」 の除幕式は少年合唱隊や北九州市長を交えて行なわれた。 炎天下、紫、緑、オレンジなどで塗り分けられた彫刻本体は光と影でいやがうえにもどぎつく暑苦しい。 大工場での鉄の技術陣は、最初僕の公開制作の原寸大のデッサンを見て、こんなものつくれないとため息を吐いたが、溶接の火花の中に形が姿を現してくるにつれ、ノリまくり、一体となって完成に向かい一気になだれ込み、新装なった公園こ設置された。

兔と蛙の乗ったケンタウルス彫刻 

鉄 6.6 × 3.7 × 6.7 M 26トン

 


    最後に、若者に向かって一言。

篠原 …… そこがいちばんむずかしいんだよね。 アートの世界というのは、ものすごく小さくて、地味で、カネが動かなくて、一部、派手に見えるのは、まったく架空と嘘の世界だからね。 アートの世界の本音は、じつに貧乏で、嫉妬深くて、ドロドロしていて、もう最悪の世界なのよ。 一生貧乏なんていうのは当たり前で、大金持ちでキヤーキャー騒いでいるのは、美術マスコミが持ち上げている数人の作家だけで、ほとんど、九九%はぐちょぐちょなわけ。 そのなかで勇気をもってアートを一生続けられるというやつは、ものすごいタフで、元気で、ほんとうに感動のセールスマンになりうるやつで、選ばれたやつ。 運が良くて、自分は悪魔がとっついているアーティストであるという自信と自覚を、生まれながらにもっているやつだと思う。 成功とか不成功とか、入選したとか賞を取ったとか、そういうものはクソくらえだよね。 これは努力とか人のお説教とかでできる商売じゃないからね。 矛盾だらけだから。 その矛盾に打ち勝っていくエネルギーを親から授かってないとね。 エネルギーは切れるから。 そういうときに普通の人間的な生活に戻っちゃうから。 

 

ボクシング・ペインティング 

 グラヴィア誌のスタジオ訪問の連中のなかに大江健三郎も一緒にいた。 作品が二、三点ころがっているだけの、武蔵野の一隅で頭にアイデアがひらめいた。 ケント紙三十枚を電電公社の社宅の壁に横長に貼り、着ていたシャツを手に巻きつけ、墨汁のバケツに突っ込むと、いきなり右端からなぐりだした。 白い紙の空間が墨の飛沫で機関銃の一斉掃射よろしく、ビシビシと埋まっていく。 数十秒後に完成。 じつに絵になる写真が撮れた。  翌年、世界的なカメラマン、ウイリアム・クラインもまた、ボクシング・ペインティングの撮影をして、これが彼の代表作となり、ぽくの名も一気に世界に知られることとなった。

Boxing Painting Slide Show

 モヒカン刈にカットするのは秋山有徳太子さん

 

    そういう人はアーティストにならないほうがいいということですね。


篠原 …… そう思うんだけどね。 でも、ぼくの友だちが富士山を描いてもってきたときに、あまりに絵ハガキ丸写しの富士山だったので、 「おまえには一片の才能もないことがこれでわかった。 それを自覚して自分の武器にしたら、アーティストとしてやっていける」 といったんだ。 その逆説が彼はわからなかったけど、そういうものなんだよ。 それがひとつの武器になりうるんだ。 アーティストとしての才能が一片もないのにアーティストになりたいというやつは、それを武器にすれば一流になれるわけ。 努力してそれをカヴァーしようとしたら、ダメなんだよ。 最初から、ないんだから。


    そのへんの自分自身の見極めが難しいですね。


篠原 …… 難しいよ。 だから観念で自分を武装しないとアーティストにはなれない。 感覚だけではね。 感覚は最後の勝負のときに必要になるもの。


     (1995年7月29日、東京にて収録)

略歴 篠原有司男 Shinohara Usio


1932
    東京に生まれる 父は詩人 母は画家。


1953    東京芸術大学美術学部油絵科入学(57年に中退)。


1958   
第10回 読売アンダパンダン展 に「熱狂の造型・これが芸術だ」 を出品。  村松画廊にて個展 「ロカビリー画家」 を開き、ジャズバンドをバックにアクション・ペインティングを行なう。


1960    赤瀬川原平、荒川修作、吉村益信らとネオ・タグイズム・オルガナイザーズを結成。


1962    ボクシング・ペィンテイングを発表する。


1964   
ラウシェンバ一グの公開制作および質問会(草月ホール)で 「思考するマルセル・デュシヤン   の像」 を発表。 内料画廊個展にてラウシェンバークの 「コカコーラ・プラン」 の複製を発表し、一連の複製作品を 「イミテーション・アート」 と名づける。 「オフ・ミュージアム」 展を椿近代画廊で開く。


1966    東京画廊個展で 「女の祭」 で 「花魁シリーズ」 を発表。


1969   
ロックフエラー三世基金を受け渡米。 以後現在までニューヨークに在住。


1973    C.A.P.S.(ニューヨーク)より奨学金を受ける。


1982   
ジャパンハウスギャラリーにて大個展。 ニューヨーク・ファウンデーション・ギャラリー個展。


1983    エンバ文化ホール、ギャラリー山口にて個展。


1984   
かわさき lBM市民文化ギャラリー、ギャラリー山口にて個展。


1985   
スタジオ・パルコノリレコスペース5 にて 『ニューヨークの次郎長』 出版記念展を行なう。


1986    「前衛芸術の日本1910-1970」展(ボンピドウ・センター、パリ)に出品。


1988   
佐野画廊個展 ハーバート・パーマーギャラリー個展 (ロサンジェス「Homage to EdwardHopper」(バルーク・カレッジ・ギャラリー、ニューヨーク) に出品。


1991    「芸術と日常反芸術/汎芸術」展 (国立国際美術館)にてボクシング・ペイティングの再演を行なう。 佐野画廊個展。


1992    広島市現代美術館ほかで回顧展が開かれる。


1994    「戦後日本の前衛美術」展 (横浜美術館)に出品。


1995   
京都市立芸術大学にて公開制作を行なう。 第2回国際鉄鋼彫刻シンポジウムー北九州 93 にて制作された 「兎と蛙の乗ったケンウルス鉄鋼彫刻」 が北九州市高炉台公園にて公開される。 ギャラリー山口にて個展。


[お知らせ] 篠原さんが 「空海」 をテーマにペインティングをした路面電車が高知市内を走っています。(問い合わせ = 高知県立美術館 TEL0888-66=8000)



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