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-CONCEPT- OLD記事

篠原有司男の底力 1

 美術手帳 1995年10月号 掲載

 「きみの絵には嘘がない。学校にいないほうがいい」 

 芸大の頃のお話しから伺いたいんですが。


篠原 … 二年のときに、ぼくがアロハシャツを着て芸大に行ったら、学校側に 「アロハを着て来ないでください」 といわれたことがある。 それからどこかでやっぱりアロハを着ていたら、ヤクザみたいなのが来て 「ああ、もう終戦十年か」 といったものね。 終戦後の貧困時代からもう十年で、日本人がアロハシャツを着て歩く時代になったというぐらいに、急成長したわけよね。
 芸術大学もそのぐらいどんどん成長してくれればいいんだけど、旧態依然とした教えかたと、人体デッサンを永遠の目的にして女の裸を描くわけでしょう。 ところが、街に出ると刺激が強くて、芸術青年の実際の生活とヨーロッパやアメリカで戦後スタートした現代美術とか世の中があまりにも違うので、これはいけないなと思っていたわけ。 もちろん芸大生はみんな感じていた。 実際に行動に移さなかっただけで。  それでぼくが四年目に林武先生に 「落第しそうだ」 といったら、 「絵をもってくれば大丈夫だ。 どんな絵を描いているのか、もってこい」 というから、デッサン帳をもっていったわけ。 鉛筆かなにかで バシャバシャーッ と目茶苦茶に描いたやつが二十ページぐらいあって、林武はその最初のほうを見て、これはジョークだと思ってたわけ。 だんだんヌードのデッサンとか出てくるのかと思って見てていっても、最後まで目茶苦茶なんで、パターンと閉じて、 「きみの絵には嘘がない」。 いいことをいうな、さて、そのつぎはと思ったら、 「学校にいないほうがいい」 (笑)。 やっぱり、それがきっかけだね。 「嘘がない」 といわれたときに、ああ、そうかと自分ですごい自信をもった。

野外アクション展(杉並区西田自宅にて)

 

ネオ・ダダ銀座で大暴れ?


 
篠原 ある日 「頭をモヒカン刈りに剃ってみよう」。 ようするに、ヒマなんだね。五円のカミソリを買ってきて、やってみたわけ。
 それで銀座の村松画廊で 「ロカビリー画家」展をやったんだけど、見に来るやつはみんな、ぼくのモヒカン刈りの頭を見て作品は見ないのね。 そんなにおれを見るんだったらひとつ絵を描こうというので、画廊の中で百号ぐらいの板に紙を張って、墨汁とかでパパ、パパーツと描くわけ。 そうすると、すごくさまになってみんな喜ぶわけよ。 アクション・ペインティングなんだけど、五分に一枚ぐらいの勢いで、お客がたまるたびに描くわけね。 そのときにぼくはサーヴイス精神がすごくあるなと思ったんだけど、見てて退屈しているお客さんになにかしないと、自分がイライラしてくるわけよね。 それで、ぼくが話しかけたりするから、銀座の画廊が昼飯時のサラリーマンでいっぱいになっちゃうぐらいになったわけ。
 林武の 「芸大を出ていけ-!」 が、結局モヒカン刈りでずいぶんとんでもない方向に向かっていったんだけ
ど、読売アンデパンダン展仲間の 吉村益信と話しているうちに 「やっぱり個人プレイよりもグループをつくっちゃったほうが早いんじゃないか」 ということになって、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズができて、グループ展の発表の場所を探そうということになった。 それで銀座画廊で四部屋のうち二部屋あいていたときに、グループのやつを集めて、 「さあ、あと二週間でグループ展だぞ」 といったら、みんな度胆をぬかされ
たわけ。
 二週間ではなにもできない、ゲンコツしかないやつばっかりで。 だから一九六〇年の四月に 第一回「ネオ・
ダダイズム・オルガナイザー」展 という名前をつけて発表したときには、材料はまずキャンヴァスと絵具がぜんぜんないから、豆腐、もやし、ヴィニール、水、風船、ケント紙五枚、ガラスの瓶のかけらといったもので、あとはみんな仮装みたいな感じになって、銀座をのし歩いたわけ。
 そのときは美術のマスコミとか評論家は、とにかくぼくたちのやっている ネオ・ダダ のそういう行為をいっさい、無視というよりも評論できないんだ。 それでぼくらは週刊誌や新聞社を相手にして、社会事件にしようとして、どんどん電話をかけた。 ぼくたちが画廊の外をのし歩いている姿を写真を撮りにきて、載ったキャプションを見ると 「前衛芸術家銀座で大暴れ」 と書いてあるわけ。 「ハプニング」 「パフォーマンス」 という言葉がなかった時代なのね。 これが第一回目の評価なわけ。 ぜんぜん暴れてないんだけどね (笑)。
 ネオ・ダダのおもしろさは期間が短かったことと、感覚的なものだけでグループをつくつてショーを開いていったという無計画さが、いまでもフレッシュなものを残していると思う。 とくにすごいのは、ネオ・ダダのパンフレットには 「ネオ・ダダイストになる資格」 が書いてあって、 「ネオ・ダダイストは教養がない」 というのが、まずでっかく入っているわけ。 あとから考えると、これはすごいコンセプトで、こうなったらもう手がつけられない。 教養を否定しちゃったんだから、評論家がなにをいったって通じないわけ(笑)。 あとになると、そういうものが光ってくるね。

エア ・ メール の作品と 1964年

 

 

 

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