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-CONCEPT- OLD記事

 オヤジの墓参り

 有司男がフジコーの若い技師と挨拶を交わすと、その技師の名が篠原であった。  有司男が慌てて、
「えっ、僕も條原です。  親父の出身は福岡県甘木郡だけど……」
 と言うと篠原技師は落ち着いて、
 「僕も甘木郡ですよ」
  「えっ、そこに三奈木村というのがあって……」
  「僕も三奈木村ですよ」
 急に有司男の目には、小柄な篠原技師がハンサムで知的、どことなく有司男自身に似ているように映った。  そして小田理事の作ってくれたオレンジ色の名刺を出し、篠原技師と名刺を交換した。
 この地方には篠原という名が多いらしく、小嶋氏のホテルの斜め向かいにも、「しのはら」 という食堂がある。  有司男が恐る恐る中に入って行くと、そこのおカミさん、美貌で名高い有司男の叔母の若いころとそっくりであった。  食堂でも有司男はおカミさんに名刺を渡して挨拶をしたが、彼女が三奈木村出身であるかどうかは聞きそびれた。
 学生時代から京都への修学旅行にすら行けなかった有司男は、今回の鉄鋼シンポジウムのお陰で、生まれて初めて九州に来たのであった。  ケンタウロス・モーターサイクルの完成を目前にした十二月のある日曜日、有司男は父親の眠る三奈木村に行くことに決めた。  近眼のうえに神経の繊細なる有司男にとって、生まれて初めてのところに行くにはアフリカの奥地に行くのと同じ覚悟が必要であった。  八幡の駅から鹿児島本線で基山、そこから甘木鉄道という名の単線の、線路の上をバスが走る (レイル・バスと呼ぶらしい) という、有司男と女房にはよくわけの分からない乗り物に乗り換えて、着いたところが甘木であった。  空気が清々しいのは公害のない証拠、その証拠に駅から出てしばらく歩いてもスーパーマーケットが一軒、ガソリン・スタンドが一軒、ケーキ屋が一軒ある程度。  あまりの呆気なさに有司男も呆気にとられながらも、気を取り直してスーパーマーケットに入り、   「親父は柿が好きだったなあ」
と言いながら柿二つと、ピンク色とオレンジ色のダリアを買った。  駅に戻って、二台停まっていたタクシーの一台に乗った。  タクシーの運転手が無線連絡で探した品照寺に着くまで、のどかな景色。  街道は枯れ葉が散るばかり。
 「へーえ、親父はこんなところから白秋の詩集片手に上京したわけか。  柿がいい色でなってるなあ」
 と有司男はぼんやり。
 品照寺に着いたけれども、有司男に墓の在りかの分かるはずがない。  奥から出て来た、落ち着いた雰囲気の住職の娘さんが、納骨堂のなかの地図を何枚も持って来た。  どの紙にも名前がぎっしり、そして篠原姓の多いこと、多いこと。  そう言えばこの近くには篠原村という村もあるらしい。 ついに投し出した 「篠原富蔵」 の名前が書いてある紙を頼りに、有司男と女房は納骨堂の二階に上がった。
 「こんな小さな箱に入ってんのか」
 と言いながら、有司男は柿とダリヤを供えた。
 墓参りの帰り道、タクシーの中で柿色の日差しの温もりに包まれながら、有司男は、詩人を志した父親の号が篠原千草であったことをうっとりと思い浮かべた。
 この鉄鋼シンポジウムが始まったときから泊まっているホテルが 「千草」、その向かいには 「しのはら」 食堂。  みんなが完成を危ぶむなかで、有司男は成功を微塵も疑うことはなかったのだ。 あまりの運命の不思議を思うはしばしあったが。
 気にかかっていた親父の墓参りを済ませ、有司男はすっきり、爽快なる心持ちで、翌朝もまた山九の工場に向かった。
 最後の色づけ段階が近づいていた。  全体を焦茶にするか、それともせ真っ黒にするか。  色見本を見せられた有司男は、グラッグラッと動揺した。  ケンタウロスのように眼玉が飛び出る思い。 色どり見どりキャンバスに塗る絵の具と同じぐらいの種類があったのだ。
 有司男の芸術に、 「ほどほど」 「ちょうどよい」 はありえない。  すべて、過ぎたるまでにやり過ぎなくてはいけない。  あるアメリカ人の評論家が、有司男と女房のロフトで 「マキシム・アート」 という名称を考案したほどだ。
 予定を百八十度変更した有司男、萌黄色の前輪、朱色の後輪、真っ黒のエンジン、エンジン・カバー、オイル・タンク、チェーン、そしてケンタウロスは青紫、後ろに乗っかる青兎に黄色蛙、突っかい棒は薄紫。  ちょうど七色である。  またも活性化協議会が動揺した。
 「これじゃあ、まるでオモチャでないとか」
 「鉄の街の威厳はどうするち」
 設置場所となる市の公園課科も、最終的に有司男の押しで七色の彫刻を受け入れることに決定。 塗装を山九の長田技師に委ねて有司男と女房はクリスマス寸前にニューヨークに戻った。
 それから三カ月後、真夜中の三時、サイレンを鳴らすパトカー、そして関係者全員とジャーナリストに前後を守られた ケンタウロス・モーターサイクル は、ジェラシック・パークの恐竜並みの扱いで山九を出発した。  嵐が吹き荒れ、九州では珍しい雪が、春分まぢかだというのに降り始め、やがて雨に変わった。  が、高炉台公園に設置が終わったときには、空は青く晴れ渡ったという。
 数日後に北九州に着いた有司男は、七色に輝く彫刻と対面、ケンタウロスの代わりに喜びの叫びを上げた。
 有司男との対面の終わった ケンタウロス・モーターサイクルは、可哀相に、超大型ビニル・シートにすっぼり被われてしまった。  一年以上もかかる公園整備の大工事のためだ。

 そして、いよいよ今年 〔1995年〕 の六月、ケンタウロス・モーターサイクルの除幕式が行なわれる。  そのとき、野外コンサートホールまで完備した公園で、北九州市百万の市民と初めて対面する。  有司男のデザインしたピンクと黄色のタイル張りの台座の上で、ケンタウロスはさぞかし喜んで飛び回るのでは。


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