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-CONCEPT- OLD記事

兔と蛙の乗ったケンタウルス彫刻 

鉄 6.6×3.7×6.7m 26トン

 

鉄鋼彫刻シンポジウム


「畏み、畏み…」
神主さんの安全祈願の祝詞とともに第二回鉄鋼彫刻シンポジウムは始まった。
 一昨年の九三年九月、北九州市八幡は新日鉄の工場内に祭壇が設けられ、盛装してヘルメットを被った関係者一同が勢揃い。 それを囲むテレビカメラマンやジャーナリストも全員ヘルメット。 ただし神主さんだけはヘルメットを被っていない。 それとも八幡の神主さんの冠は鉄でできているのだろうか。 新日鉄の副所長の名刺は鉄でできていた。
 神社、病院、寺をその敷地内に擁する新日鉄では、神主さんも社員。
 「揺り籠から墓場まで」 とはヨーロッパの先進国だけのたとえではなかったのだ。
 これから始まるお祭り騒ぎは、その前年の暮れ、八幡のとある高級ホテルのカフェでのひそひそ話から始まった。 無名ではあるが、母里聖徳君という立派な名前のある彫刻家と、熱烈に地元を愛するそのホテルのご主人・小嶋一碩氏の二人だった。 二人の思っていたことは同じであった。 「この街は、最近、元気がないのんと違うやろか」 「なんとかせにゃいかんとに」
 お互いの考えの一致を確認した母里君はそろりそろりと小嶋氏に持ちかけた。

「もう一遍、彫刻シンポジウムはどうですかね」
 その五年前に、鉄鋼産業の北九州市を盛り立て世界の注目を集めようと地元

の北九州市活性化協議会が世界から十人の彫刻家、と言ってもイギリスから二人で残り八人は全員日本に住んでいる日本人を招いた。 鉄を提供、工場を提供、小嶋氏の好意で、彼の経営するホテルに期間中無料で泊め、北九州市活性化協議会が交通費、食費まで出して十個の彫刻ができたのだ。 その結果は大赤字であった。  今回は彫刻家を三人に絞った。アメリカ人のフランク・ステラ、ニューヨーク在住の日本人・篠原有司男、そして北九州人の母里聖徳。
 有名なる二人の彫刻家と優秀なアイデアを出した地元の彫刻家の計三人、今度
こそは上手くいくだろうと、小嶋氏は北九州市活性化協議会に働きかけ始めた。
活性化協議会とは町起こしグループのようなものらしい。
 小嶋氏はたいへん気が短い。自分のホテルの中で歩いていることはほとんどな
い。 イタリア製高級紳士靴を履いているのに、スリッパを突っかけているような
音を立ててバタバタ走り回っている。 幼少のころに下駄履きで育った名残りであ
ろうか。 車を運転しているときも、ハイウェイが込んでいると、どんどんバックで戻ってしまうくらい。
 小嶋氏が活性化協議会に働きかけたのであるから、話は早い。小嶋氏はこの協議会の企画委員会幹事をずっと務めているのだから、特に話は早かった。
 その四ヵ月後の九三年四月には、フランク・ステラも篠原有司男も北九州に下
見に来ていた。
 そして第二回鉄鋼彫刻シンポジウムの始まった九三年九月、神主さんの祝詞を
かしこまって伺いながら、有司男は笑いが止まらなかった。


「アメリカじゃあ、まな板程度の大きさも鉄の板を買うにも、いちいち女房の財布
と相談しなきゃいけない哀れな彫刻家も多いこのごろ、高価なる鉄、本物のクレ
ーン付きの鉄工場、熟練職人、すべて使い放題。 天皇家の一員もお泊まりになっ たというホテルは、タダのうえに豪華なる朝食付き。 おまけに一人一日三千円、女房の分まで入れて二人分一日六千円のお食事代まで戴ける。 こんな夢のような話があるのだろうか。 かの有名なるステラも、四月にアメリカから下見に来たときには、漠漠と広がる廃鉄置場の膨大なる鉄の山の上でぴょんぴょん飛び跳ねた というではないか。 ステラにしてみれば、コロンブスがついに辿り着けなかった黄金の国ジパングに、この二十世紀に 現実に来ている思いに違いない。
 この不景気に、と思うのは素人考え。
 不景気であるからこそ、仕事が少なく、 手の空いた職人、そしてスペースの余った工場を使ってほしいとは! なんと芸術とは便利なものか。 

 芸術家と乞食を三日やったらやめられないとは、よく言ったものである」


 


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