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-CONCEPT- OLD記事

篠原有司男 作品集 1981年

ドリンク・モアー    

 

Drink More

  

冷蔵庫ドア-の表  

 思考するマルセル・デュシャン

Drink More

 

1981

 

100  ×  75  cm  

 

冷蔵庫のドア-・アクリル

 

 この幻の名作の誕生は、何と1963年7月。

シェル石油賞の佳作に入選、賞金3,000円を持ち返ってくれ、周囲の友人達を唖然とさせた。       

 どうしてか、その頃、日本の画壇の主流は、ニューヨーク生まれの抽象表現主義 (カンパスにやたらクネクネと絵具をこすり付けるだけ) を日本的センチメンタリズムであんばいした作品だらけで、突然その中に、中味の詰った本物のコカコーラのビンを握った石膏の四本の手が星条旗のカンパスから、にょっきり突き出し、ドリンク・モアー、すなわち、もっと飲めー!と大書、巨大アメリカ資本の日本占領を、逆手に取ったメッセージの強い、しかもトップ・モードのポップ・アート仕立てと来たのだ。 

 当時の日本は、1964年のオリンピックに向け、経済、政治、文化の面でアメリカに追いつけ追い越せの掛け声で、東京の道路は昼夜兼行の建設工事中。建築家の丹下健三は、ここぞとばかり政府の組んだ大予算をくっ使、代々木に吊り天井のとんでもなく前衛的なスイミングプールを作るなど、日本中が沸き立っていた時。シェル賞の審査員も冒険的にならざるを得なかったのであろう。しかしこの名作を美術館に売ってやろうと云う野心的なアート・ディーラーは当時の日本には恥ずかしながら皆無。何んせ東京に、美術館はたったの一つ京橋近代美術館のみ。そこに並べてある作品ときたら、日本画中心で、洋画は梅原龍三郎止まり。銀座の自称現代画廊は、南画廊と東京画廊の二軒のみ。これらも敷居が高くて、ジーパン、下駄履きのぼくらは入ったことがない。 名作ドリンク・モアーは、置き場所すらなく裏庭で雨ざらし、腐って消えてしまった。

 しかし燃えている我々ヤングアーティストたちは、作品の置き場所など一顧もせづ、次次と新作を生み、同年10月椿近代画廊にて、グループ・スイート展にぼくらは拾った冷蔵庫を作品化した、イミテーション・ボックスを出品。中に何んと、アメリカンポップの巨匠、ジャスパ-・ジョーンズの三段重の星条旗とラウシェンバーグのコカコーラプランのイミテーションを入れ、ドア-に例の四本のコカコーラを握ったドリンク・モアーを取り付け、裏は「思考するマルセル・ドゥシャン」のブループリントを張り付けた。題してイミテーション・ボックス。これも残念ながら腐ってしまった。しかし渡米後の1991年、大阪国立国際美術館企画 「芸術と日常し反芸術と凡芸術」 展に3回目の再制作で出品され、この写真はそのイミテーション・ボックスのドア-です。

 

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