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-CONCEPT- OLD記事

ISCP(International Studio & Curatorial Program)オープン・スタジオ

12/13ー14/2002

323 West 39th Street, NYC 10018

between 8th and 9th Avenue

 

                        ISCPは、ニューヨークにあるアート・イン・レジデンスプログラム(若手アーティストやキュレーター達に、一定期間、制作/活動の場を提供するプログラム)で、制作・研究の奨励はもちろん,アーティスト達の様々な文化的背景と、ホストカルチャーであるニューヨークの文化との相互作用の中で、互いの発展を目標にしている。現在このISCPでレジデンスプログラムに参加するのは、様々な機関からのグラントを受けた、アメリカ国内はもとより、ヨーロッパやアジア等の19か国から集う30人のアーティスト/キュレーター達。昨年12月のオープンスタジオで、それぞれの制作/活動を一般公開した。実は,うち6人が日本人アーティスト。訪れた人々の中から”どうしてこんなに日本人が多いの?”という声も聞かれたが、日本から、より国際的な場所を求めて活動する若手アーティストが増えている証拠だろう。

 

 

増山士郎 「こうあるべきオープニング」 
撮影 齋木克裕
© Shiro Masuyama

                        増山士郎は、「こうあるべきオープニング」を公開した。スタジオ内には、一人用のブースが並ぶカウンターバーが設けられ、様々なオープニングで収集した音と映像が流された。実際にカクテルを注文できるブース内には、雑音を遮断する耳当てが備え付けてあり、それを装着する事で,外部との一際のコミュニケーションが絶たれる。バーテンダーですらガラス越しという袋小路の環境で、観客は作品の意図を推し量る事を余儀なくされるというもの。”生けモク”や”合法駐車”など、テーマを常に社会の中に求めてきた増山の作品には、人々の無意識な社会行為が無意識のうちにアートの境界での出来事になってしまうというトリック(時として痛烈なアイロニーともなる)があるが、アートの境界内でさえ人はアートに気付かない。例えばそれは、オープニングがアート鑑賞の場ではなく社交の場になっているため。「こうあるべきオープニング」、増山のアイロニーである。

開発好明
©Yoshiaki Kaihatsu

                        やはりアートと社会の関係を問いかけるのは開発好明。彼のスタジオ内は、精密機器から納豆にいたる様々な物の梱包材、発泡スチロールで埋め尽くされた。物そのものを見せるというより、空間を意識させ、ライティングの演出により、廃材による空間は、なにか高度なファクトリーへと変貌するかのよう。私達のアートの認識が、物そのものよりシュミレーション的な環境に寄るとしたら、アート自体の物質感はより補足的な要素として扱われる。その中でなおかつアーティストが創造する行為とは何か。開発は、あえて身近な素材を用いながら、それは、社会とのコミュニケーション・接点を積極的に図ることだと述ているようだ。

鈴木貴彦のインスタレーション
Photo© S. Yoshida

                        観客との接点、つまり観客の参加を重視しながら、物の重要性も持ち込んだのが鈴木貴彦。素材として障子紙に関心があるという鈴木は、無数のほころびをつけた障子紙を重ね合わせたしきりを組み合わせ、迷路のような空間を構築した。いくつかの照明が点灯/消灯を交互に繰り返す中,浮かび上がる陰影はその度に異なる。そこに観客が入り込み、迷路を彷徨う一瞬一瞬に、また新しい環境が生まれるという仕組みだ。観客の参加によってはじめて完成されるという鈴木が求めるアートは、物とともに,しかしそれを超えて存在するようだ。


中ザワヒデキ「Method」より
Photo© S. Yoshida

                        アートの存在が物にあるのか、はたまたコンセプトにあるのか。混沌とした状況の中で,もう一度”論理”にかえろうと喚ぶのは、中ザワヒデキ。自身でも”方法主義宣言”(2001)を唱えた中ザワ(詳しくは www.aloalo.co.jp/nakazawa/method/ 参照)は、”色”と”形”を還元的な方法論でとらえようと試みる。例えば、色の還元された要素がドットであると考えた中ザワは、コイン,おもり、ナンバー、文字が、ドットと同様の還元形体であるとみなす。意味的置換が可能なサインとしても機能するそれらコインやおもりたちは”色”をも示唆するのもとして、様々にアレンジされる。  

北浦信一郎スタジオ
©Shinichiro Kitaura

                        絵画的なある形式の中で作品を展開するアーティストもいる。渡辺聡と北浦信一郎。渡辺は中ザワと同じくドットを扱うが,それは、視覚的な認識を喚起するものとして用いられている。何枚ものキャンバスに共通に存在するドットは、絵画のイメージを暴くと同時に隠しもする。半面の真理はしばしば全体を示唆するという渡辺、そこには見る事にまつわる先入観へのアイロニーも含んでいるように思える。一方、アイロニーという言葉とはかけ離れた様な北浦の絵画。それは、完璧な幾何学形体でもなければ全くの有機形体でもなくその中間に位置する様に微妙なバランスを保つ。シンメトリーでありながら未だ形体決定途中のよう。同じ様な感覚が、彼の選ぶ原色ではない微妙な色彩にも見られ、暗喩的である。サインを意識しているという北浦、探っているのは絵画に於けるコミュニカティヴな側面のようだ。

エイラン・カンのインスタレーション
Photo© S. Yoshida

                        以上の6人に加えて,デジタルな情報社会における”知のアイデンティーティー”を探るというテーマでビデオインスタレーションを公開したエイラン・カン。韓国からの参加であるが、修士号を日本の美大で取得しいる。グローバルな現代社会、あえて日本,とこだわる必要がないのかもしれない。実際これらのアーティストのそれぞれ異なるアプローチは既に一束ではない日本のアートを示唆しているのだから。彼らの様々な視点を、このISCPの目標にあるように、彼らがレジデンス・プログラムの経験を生かし、どのように展開していくのか楽しみだ。

Yoko Yamazaki)

 

 

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