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-CONCEPT- OLD記事

ニューヨークは今日も大変だ 1


 

 

ニュー・ペインティング、どう描くか?

 海辺に突き出したロビーで朝食のメニューにステーキ・ブレックファストを見つけ、「これ」とすかさず注文。銀座でのシノハラ個展のため十年ぶりに帰って見た盛り場の食堂群。ソーホー・ロフトの片隅で夢にまで見た日本の食堂、片っぱしから喰ったとしても、人間の胃袋の限界に泣かされ、ぶっ倒れる寸前でやはりブレーキをかけなければ、悲しい。

ニューヨークへの帰途、ワイキキ・ビーチを横目にパクツク、モーニング・ステーキ。気持ちのゆとりが戻ってくる。美しい日本食を喰いまくった個展の三週間。その間、「ニュー・ペインティング、どう描くか?」という講演会も行なった。

「バケツに溶いた青絵具を三メートルの長さに塗りたくって、これが青空。高価なカドミウム・イエローをおてんこ盛りに塗りたくり、これがビーチ。そこまでは誰でも描けるんだよ。だけどよ、これからがぼくの本領発揮だ!馬鹿でかいハンマーヘッドシャークを、どかーんと空の青、グリーンの海の上に描くんだ。東部と背びれはライト・レッド、腹側は白、上下二メートルぐらいかな。それでもなんだか決まらなければ、ピンクの大口をへの字に塗り、ギザギザの歯、そのうえ、これが最後の決め手だけれど、ムチムチのワンダー・ウーマンの太ももを横っかじりにされるんだ。赤い血がベタベタと白い鮫の腹に飛び散り、よし今日は調子がいいぞ、とこうなるんだ。」

 こんな話をすればもっと受けたかな、などと思い出す余裕も久しぶりにパクつくステーキがなせるわざか。爽やかな風、ハイビスカスがゆれ、スズメが肩や頭にとまり食物をねだる。ああそれにしてもハワイとはなんと安心感に満ちたところなんだろう。日本語ばかりが聞こえ、みんな親切で笑顔じゃねえか。ああまたそれにしても、あと数日で恐ろしいニューヨーク・ソーホー街に戻り、荒野の中の野獣のような生活が待っているわけ。それにしてもだ、俺たちのロフトはまだあるんだろうなあ―――。

 ハワイ空港で買った『サンデー・タイムズ』に、今日アメリカン・アート・マーケットは未曾有の好景気、活気に満ち、なんとツー・ビリオン(二十億)のドルが動き回っているとある。ムスメ、ムスコが絵描きになりたいというと、親は笑顔で、よしよしがんばれよと、「ドバーッとお小遣いやろーか」らしい。なんてこった、こないだまではコンセプトばやりで、絵具屋も、三角定規やエンピツしか売れず、泣きっ面だったのが、両手のバケツに持ち切れないほど絵具を抱えて出て行く絵具屋の階段は、ラッシュ時のデパートの如く、上がるやつ降りるやつでぶつかり合う混雑だ。これじゃあ笑いがとまらないだろう。

 今を去ること二十五年、「読売アンパン」時代より、シノハラ作品は題名が先に有名になって来たのである。「こうなったらやけくそだ!」彫刻は、瀧口修造氏お名指しの迷作。「ボクシング・ペインティング」や「地上最大の自画像」「シノハラ初夏を歌う」等々。近作では、「日本のオバケがアメリカン・スーパー・ヒーローに会う」「モーターサイクル・クイーン」「苺オバケ」「ジャマイカ日記」「夜桜」「チューインガムとロクロッ首」など。

 どんな絵を描いてやろうか、真っ白い大キャンヴァスに、それこそバケツ三杯たっぷり買いためた絵具を横目で見ながら、さあさあ、身震いがするほどうれしいこの瞬間。頭の中は、南海、女体、椰子、ランチの大テーブル、極楽鳥、色とりどりのラム酒―――マシンガンを持ったヤク切れの殺人鬼が躍り込んで来てぶっ放す。サンセットの中でデザートの苺クリームが、ベチョベチョと飛び散り、ジョーズまでが仲間入りをしたがっている光景。これを派手な絵具に、金箔、銀箔まで加え、超スピードで描き散らかそうというわけだ。

 どうしてこんなすっとん狂なイメージがいつも溢れているんだろう、シノハラの脳味噌は。池田満寿夫から「ハングリー・アート、本質と本音」、と対談のタイトルをもらったことがある。満腹で、食堂を出がけに、またウインドウを覗き込み「あああれを喰えばよかったなー」などと―――永遠のハングリー・アーティストなんだろうか俺は。

 本題にもどろう。我が広大なるスペースのロフトといえども、横二十メートルの大作になると、画面右端に塗った赤が二十メートル向こう左端のエメラルド・グリーンとどんなコントラストを成しているかなど、正確にわかるはずもなく、ぼくは両眼ともド近眼ノー・メガネときているので、大作全体の構成バランスを意図的に作画しようなど出来るわけがない。下書きなど無論ない。ぶっつけ本番、一本勝負のみが絵を生き生きさせるものだと信じ切っている。ピカソのゲルニカの失敗の原因は、考え過ぎ。血みどろであるべき猛爆下の町ゲルニカが、アブストラクトの画面の如く、冷え切った、つまらないものになってしまっている。前評判につられニューヨーク近美で見たら、がっかりしたというのが大方の意見である。そこいくと我がシノハラは、全体的作戦など取らない。いきなり右端から一気呵成にスタートする。頭脳に浮び上がる気狂いイメージを、片っ端から画面左方向に向かって描きとばして行く。

まず地下鉄の入口を描く。すると次には、その階段にアル中がぶっ倒れ、左に大きく差し出された手にはブランデーがしっかと握られ、その酒を盗もうとプリプリの大女、汚い黄色のチェッカー・タクシーが突っ込み、これらを真昼のタイムズ・スクエアが包む。このようにして、どんどん左方向に描き進む。要は、描いた部分に絶対に反省や修正を加えない。やりっぱなし。生々しい感動を見る人々に呼び起こすには、絵描きが馬鹿乗りしまくっていなくては。いいわけをしている絵などに大金を払う馬鹿はいない。左端に近づく。いよいよフィナーレ。バーボンをひっかけ出す。遂にゴール、出来た。サイン、乾杯、心身ともに充実した爽快感。これがぼくのニュー・ペインティングの描き方です。

(しのはらうしお・美術家)

 



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