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-CONCEPT- OLD記事

THE WORLDS OF NAM JUN PAIK

 

 

2.THE SEOUL OF FLUXUS

 ソウル・オブ・フルクサス

Composition, performance, and the transformation of video and television

 コンポジション、パフォーマンス、ビデオとテレビのトランスフォーメーション

 

2-1

 

フルクサスは、絶対的に芸術に対する機能性を否定した産物として存在する。その生みだされたものは、売られることや、芸術家の生計を立てるといった機能性を捨て去っている。フルクサスは儚くも、終局的な芸術の不必要性を伝える教育的機能を擁している。それ故、フルクサスは永遠に不滅的な存在であるべきではない。

-ジョージ・マシュナス,1964

 

 私は音楽の形を新しく創り出すことに疲れた。・・・私は存在論的な音楽の形を新しく創り出さなければならない。・・・街の通りでの移動シアターの中で、音は通りへと繰り出し、聴衆は通りで、偶然に思いがけなくそのシアターや音に出会う。移動シアターの美学は、この驚きに基づいている。なぜならほとんどの聴衆が、招待を受けたわけでもなく、何をしているのか、なぜそのようなことをしているのか、誰が作曲家で、演奏家で、編曲家なのかさえも知らないのである。

-パイク,1963

 

 現代美術の歴史や新しい美術理論の確立において、ナム・ジュン・パイクの役割は唯一無比である。彼の他の芸術家に対する寛大さ、素材としてのビデオの認識と支持のための労働的な意志、前衛芸術という冒険への責任、芸術とテクノロジーへの世界的な見通しは、20世紀後期の文化における確固たる彼の人物像をつくりあげる。

 1932年に韓国ソウルに生まれたパイクは、その創造的な生活の大半をヨーロッパとアメリカで過ごしている。彼が1964年に渡ったニューヨークという彼の嗜好性は、ニューヨークの人々や文化の多様性と相違性によって霊感を与えられたものである。彼にとってニューヨークは、新しいアイデアが受け入れられ支持される場所であった。そこは多くの芸術家の集う家でもあり、その芸術家の中には、彼が最初にヨーロッパで出会い、彼の芸術を証明したジョン・ケージやジョージ・マシュナスが含まれている。パイクは、1960年代に西洋文化を通して世に広まった非芸術の前衛運動のひとつ、フルクサスの歴史の中で独特な役割を果たしている。

 シアターが動画や古典的な映画の形成期の時代に重要な役割を果たしたように、パフォーマンスは1960年代の様々な前衛運動の中で創造された。その前衛運動にはフルクサス、ハプニング、コンセプチュアル・アート、プロセス・アートなどが含まれる。そしてシアターは、ビデオと20世紀後期のフィルム・アート、インスタレーションをつなぐ極めて重要な場であった。芸術の世界の中で前衛フィルムの傍らに身を置いたパイクの才能は、アジア、ヨーロッパ、アメリカで催された前衛の祭典での移動シアターの中で即興のアクションとして開花した。

 論争や宣言、アクション、反芸術のイベントといった複雑なフルクサスの活動の中でパイクを位置付けるためには、音楽構成に関心に高かった彼の青年時代を理解することが重要である。青年時代から彼は、家族に望まれた有産階級としての裕福な生活を拒否した。西洋音楽は、パイクの知的欲求を誘い、彼の文化に存在する芸術上のしきたりを破壊する欲望に拍車を掛けた。1947年ソウルでの高校時代に知った作曲家アーノルド・シェーンベルグへの若き関心は、新しい芸術と作曲世界への重要な橋渡しとなった。1949年朝鮮戦争下、パイク一家は香港に渡り、その1年後、日本に渡った。日本でパイクは東京大学で音楽と美術史、美学を学んだ。彼の卒業論文はシェーベルグについてである。しかしながら、公式や修辞学は創造性を窒息させていた。

 西洋の古典とモダニズムに中心を成すヨーロッパの作曲を理解するという熱望に触発されて、1956年彼はドイツへと移動した。彼はミュンヘン大学で音楽史を学び、その後はフライブルグ音楽学校でウォルフガング・フォートナーのもとで2年間勉強し、1957年にはストックハウゼンと、翌年にはジョン・ケージと出会っている。また1959年にはケルンのWDR音楽スタジオで過ごしている。パイクにとってのケージの重要性は、その知的な深さにあった。ケージの複雑な理論は、新しい芸術、新しいアプローチを求めていたパイクの研究と共鳴した。ケージは禅や仏教に興味をもち、反物質主義者の広い視野を保持していた。また彼は毎日の生活に、精神を育成する簡素さ探そうとしていた。ケージの格言的な考えは、彼が作曲した「4分33秒」に見ることができる。作品は演奏者のための教育であり、鍵盤の前に座ってカバーを開けたあと何もしないのである。それは静謐さが保たれている間、4分33秒、続けられる。観客はピアノの演奏を聞いてはいない。なぜなら演奏者は決して鍵盤に触れていないのである。そのように「4分33秒」は聴衆に、環境とその環境下での偶然の出来事をより一層意識させた。ケージは考えと作曲の中で、マルセル・デュシャンのオブジェに対する多様性のある概念を取り入れ、具体化した。その概念は、既製品であり、作家や鑑定家が価値を見出す洗練された理念、伝統と熟練といった芸術を否定している。ケージを通して、デュシャンは芸術家に発展性のある衝撃を与え、パフォーマンス的な芸術を知らせ形づくらせ、芸術界におけるアカデミズムや因習などの階級制度を廃止させた。パイクの高いモダニズムの信条からの過激な破壊は、様々な反芸術運動の結果である。伝統的な構図や古い考えは、芸術活動家や芸術創造者として、ものと身体の概念という空間とシナリオの多様性と結びついた芸術家によって拒否された。このような環境で、パイクは芸術家としての役割を追及し新しく創造する場を見出したのである。

 Noguchi

 

 

      

 

 

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