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-CONCEPT- OLD記事

ルッキング・アト・アジェ

Looking at Atget

9/1011/27、2005

フィラデルフィア美術館

Philadelphia Museum of Art

 

俳優としてパリや地方を巡業していたユージーン・アジェ(1857−1927)が、フォトグラファーとなるのは35歳の頃。アーティスト向けに習作用写真を撮り始め、デザイナー、職人そして風刺漫画家用にも資料写真の撮影を行なった。また、図書館や骨董屋の依頼で、パリの町並みや公園、建築、人々の生活の様子等をとらえた写真を数多く手がけた。記録写真家として写真を愛したアジェは、 生涯自分をアーティストと思わなかったという。そんな彼をアーティストとして世界に紹介したのは、二人のアメリカ人、女性フォトグラファー、ベレニス・アボット(1898−1991)とアートディーラー、ジュリアン・レビィ(1906−1981)だった。二人は、 異なる視点を持ちながらも共にアジェの写真を敬愛した。本展は、アボットとレビィの共同コレクションとも呼べる、元レビィ・エステート所蔵のアジェの作品350点より120点が公開されたもの。  

 

Versailles – Faun , 1921-22, Eugène Atget (French, 1857-1927). 
Albumen silver print, 8 11/16 x 7 1/16 inches. 
Philadelphia Museum of Art: The Lynne and Harold Honickman Gift of the Julien Levy Collection, 2001.

 アジェがアメリカで評価を受けるようになるのは没後1930年代。アボットはプロモーターとしてアジェの写真の普及に尽力し、その経済的な支援を行なったのがレビィだった。

アボットがアジェに出会うのは彼女がマン・レイのアシスタントとしてパリに滞在中の1926年。(アジェが亡くなる前年。)アジェが亡くなった折、彼女は約千三百のガラス板ネガティブと七千枚のプリントを購入し、1929年にニューヨークに持ち帰り、同年アメリカの美術雑誌Creative Artにアジェを紹介している。(その後も彼に関する数々の執筆を行なった。)アボットはレビィと共に、アジェの初めての展覧会を1930年にニューヨークで開催する。その展覧会のために彼女はアジェのネガティブから新たにプリントをおこすが、当時技法も素材もアジェが用いたものは、既に入手不可能だった。アボットは、技法の違いを習知した上で、彼のネガをベストの状態でプリントしようと務めたという。

本展は、アジェ自身のプリントとアボットによるプリントで構成される。 興味深いのは、同じネガからプリントされたアボットとアジェの写真の比較展示。それは、視覚的な都市の記録としての写真を収集したアジェと、そこに都市生活が多様に反映するアートを感じたアボットとの対比のようでもある。アボットは、アジェをアーティストと呼び、彼のスタイルにこだわらない客観的なアプローチに魅せられ、それを自分自身のニューヨークでのプロジェクト (Changing New York) のモデルにしている。

レビィは、画廊での写真の需要がまだまだ少なかった当時、アートメディウムとしての写真の可能性を信じた数少ないディーラーの一人だった。しかし、シュールレアリスムの支持者でもあった 彼は、アボットと異なりアジェをシュールレアリスムとの関連で評価した。(レビィがアジェを知るのはマン・レイを通してだが、それ以前にシュールレアリスムのジャーナルでアジェの作品を見ていたという。) 彼がことに好んだのは、ベルサイユのサテュロス像など神話に基づく幻想的な公園彫刻の写真や路地で客を待つ娼婦などの写真だった。

アジェの絶大な支持者であるアボットとレビィは、異なったアジェを見ていた。彼らの写真観は、アジェ自身の写真観とも異なっていたかもしれない。しかしそれは、写真への多様なアプローチを示唆するもの。そしてこれは、 写真が近代美術においてアートのフォームとして認められていく歴史的な過程でもある。 (Yoko Yamazaki)

 

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