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-CONCEPT- OLD記事

花魁殺し

Murder of Oiran

1965

225×181cm

蛍光塗料・ラッカー・キャンバス

長岡現代美術館

 

講談    ニューヨークの次郎長・外伝 1

                                                                                                     1987年OCSニュース掲載

なにわ節書き開始の記

 

長く住んでいるニューヨークなら、随筆、エッセー、のたぐいはタンスの引出しを開ければ出てくるはず。 書き散らした原稿用紙の四・五枚なら、特に昼間の時間を持て余している主婦の方なら なをさら、こと程左様にこの街は東京・大阪との違いを我々にみせつけてくれる、いやアメリカ全体が我々にとっても新大陸なのだから、街に落ちているガラクタの類にまで、一言日本人としてのご意見を述べたくなる。 それがビフテキ一枚、ビール一本から始まり、地下鉄、人種、政治にまで及び、犯罪の凄さ、質的に日本とまったく違うそれらの動機、規模にいたるまで。 そう、日米両国間の生活環境を比較論に見つめ出すときりがない。 もう自分一人の頭脳では黙っていられなくなり、欲求不満になり爆発してしまう。

 それじゃあ紙とエンピツを持って来いと言った勢いで、原稿用紙をキノクニヤに買いにいくことになり、ぼくも行った。 カウンターで“ください”と言うと、“三枚ですか五枚ですか”と聞かれ、“五百枚”と答えると、売り子嬢は平然と、“自伝をお書きになるのですね”と来た、ニューヨークである。

 小説は素人には書けない、狂人にしか。 世の中を冷静に見つめ、建設的な、前向きな判断を下し、子供を良い方向に向かはせようとするのはそれでよいが、二日酔いの頭でまぶしい街に出、黒人を金髪と間違えて口説こうとしたり、摩天楼を昨夜の飲み残しの酒ビンに見立てて見たり、地下鉄の出口からゲゲゲの鬼太郎軍団が怪獣を従えぞろぞろと街にあふれたりして来れば、この人の頭脳はもう小説家のものである。 だが作家になるにはもう一つ大事な作業が残っている。 この前後不覚の狂人イメージに筋道を立て、ちょうど前座から初め、真打で盛り上がり、クライマックスに至るお客が払った分は十分満足させおつりが来る程の構成力と日本語の活字で、四百字詰めを三百枚以上埋め尽くてはならない。 この肉体労働を克服しないで、すなわち本一冊も出版できなくて小説家でございますはよくない。

 貧乏絵描きは暇だから物事をよく考える。 家庭の主婦に随筆家が多いのと同じ。 しかしアーティストの場合、到底見込めない願望でも夢を見つづけなければ立っても居られないのだから、日常でも幻覚的である。 イマジネーションの力をふだん鍛えているから、これが形をなして生まれ出ると、突然変異的なしろものを生む。 手前味噌になるが、ぼくの小説『ニューヨークの次郎長』が新小説と呼ばれるわけである。 ぼくはプロの絵描きだが、文章はアマチュアだ。 が、話が面白いと人に乗せられ、一つ本でもお書きになってはの申し出に、二つ返事でOKしたものの、自分に書けることは、十年以上ここに住み、失敗し、歓喜した生活体験を生かすしかない。 流行作家は一晩百枚よと言われても字引 引き引きでは十枚で徹夜、それでもアイデアがひらめいたと、ガバっとベッドから跳び起きて女房にがなり跳ばされながら四百三十枚を埋め切った時は、その間もちびちびやるテキーラと葉巻のおかげで、街に出た時信号が見えなくなっていた。

 ネタは豊富なニューヨーク。日本から見れば泣く子も黙る極悪犯罪都市。 よく生きてお帰りになられましたと感心され、そんな所での御制作ならさぞかし命がけだったでせうと、銀座の帰国展では結構な評判を取っては見たものの、いざ文章となると百万のアイデアはあってもなかなか一本にまとまらない。 えいやけだ!と聞きなれたなにわ節、三十石船の石松のやり取り、“客人江戸っ子だってねえ”“神田の生まれよ”“そうだってねえ、飲みねえ飲みねえ”をまるごと頂き、広沢虎造いや原作の神田伯山には悪いけど、清水の次郎長のあたまにニューヨークを付け「ニューヨークの次郎長」と決めた瞬間内容も決まってしまった。 これを聞いた出版社のボスから虎造のテープ次郎長伝全一二巻がとどき、中に“お前の度胸”“勝五郎の義心”“エン魔堂の騙し討ち”に森の石松の最期とくれば勇気百倍。 この幕末やくざ者たちを、親分と慕ってぼくのロフトに集まる貧乏絵描きのどたばたフィルムに重ね合わせればしめたもの。 時代は現代花のソーホーに乗込んだ日本人アーティストたち。 ロケーションは異様なダウンタウンや原色のコニ-アイランド海岸遊園地、落書き地下鉄から行きつけの深夜バーでの騒ぎとくればもう出来上がったも同じ。華々しいシーンは原稿用紙より前にスケッチブックに多彩色で試し書き。 この数枚が百枚を超える迫力に、それなら挿入絵を兼ねた出版記念会で派手に行きませうと、これ又ニューヨークで意気投合したデザイナーが任せてくださいとばかりの全力投球。 凝りに凝った本造りが印刷所をいじめ、出版元を怒らせ発効日を遅らせ、後書き担当のこれ又ニューヨークの友人まで本屋に特注を付け、ますます大混乱の末やっと一万部が日の目を見た。

 絵画の個展なら百戦練磨の吾輩も、出版記念会場入口には紅白の幕、天井にとどく豪華花束、その上文壇人、大手出版関係者紳士に向かってマイクであいさつされては気もそぞろ。 照れ隠しでかぶったニューヨーク持参のテキサス・ハットにタキシードのポケットはひとの名刺であふれ、出前の一流レストランの料理にはひと口もあり付けず。 嵐の去ったあとぽつんと会場に取り残された吾輩一家三人を、友人の一人がニューヨークとひと味違った威勢のいいすし屋に連れて行ってくれました。


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